【メタバース進化論】第3,4章の感想
■前置き
ちょっと前に3章を読んだのだが、
技術的な内容が多く、それはそれで面白かったのだけど、
感想にまで膨らまなかったので保留にしていた。
4章まで読んで浮かんだことをつらつらと書いていきます。
■メタバースに触れるための環境
3章は「メタバースを支える技術」。
VRゴーグルはもちろんのこと、頭の動きや体の動きを検知するトラッカー。
指や視線の動きもそれぞれトラッカーを装着して全身の動きをメタバースに反映する。
機器は性能も価格もピンキリだけど、良いものを一度使ったら元には戻れないほど差があるのだそう。
アバターもそれぞれのバースによってフォーマットがバラバラで、(最近は手軽に作れるようになってきたそうだが)大金をかけても一部のメタバースでしか使えないというようなこともある。
そこで注目されつつあるのがVRM、どのメタバースでも使えることを目的にしていて、その昔ニコ動で流行ったMMDが元になっているのだそう。
お世話になりました。
バーチャルキャストもドワンゴが関わっているし、ニコ動文化、侮れない。
■ネカマというなかれ
4章は「アイデンティティのコスプレ」。
メタバース上で如何に自分を表現するか。ただ生身をコピーするのでは意味がなくて、
自分のなりたい姿でメタバースに存在することで表現する。
デフォルメされた人型であることが多いが、動物が混じっていたり、動物そのものだったり、あるいは植物や無機物でもよくて、とにかく自分がこうありたい、という姿のアバターでメタバースを過ごす。
統計では女性のアバターが多く、これは物理的な性別に関係なく女性キャラが多いんだそう。
思い出してみれば自分もネトゲしてた頃はほぼ女性キャラだった。
理由はよくわからないが、ゲームの中ぐらいは違う姿で過ごしたい、というような感覚だったのかも。最近のメタバースを始めるにしても、おそらく女性アバターか、コミカルなロボットとかそういうものを選びそう。
■魂を照らす
章の後半でイデア論、分人について書かれていた。
自分の肉体は抜きにして魂をいろんな方向から照らした時、方向によって普段と違う人格が現れる、というようなこと。
ある方向から照らされたら普段の実生活の自分が出現する。
また、他のある方向から照らされたら全く違う自分が出現する。
それがたまたまメタバースだったり、ネトゲだったりするだけのことかも。
■声の壁
メタバースでの見た目はアバターで表現できるが、声でコミュニケーションしようとすると当然喋らなければならず、地声で話す場合に見た目と声の不一致が発生する。
見た目が女性で声が男性だから、だけではなく女性でも理想の声質、高さと違うから不一致と認識する場合もあるそう。
それを解消するためにボイスチェンジャーを使用したり、ボイストレーニングで理想の声を出す訓練をするケースもあるのだそう。
意外だったのがボイスチェンジャーは声の変換が完全でなく、早口や歌を正確に変換することが簡単ではないらしい。ゴーグルやらトラッカーでの動きの補足の方が難しいだろうと思い込んでいた。
■VR依存?
ボイスチェンジャーが完全でない、メタバースでの自己表現が完全でない、と聞いて少しホッとした所もあって。
姿かたち、声も動作もすべてメタバースで完璧に表現できるようになったとしたら、
現実に戻りたくない、このままVR上の姿でいたい、と思うことは無いんだろうか。
メタバースでの表現が完璧でないからこそ、現実に戻ってこれる接点が残っている。
統計で物理的な性別に不一致を感じて、メタバース上では異性のアバターで過ごすケースがあるそうで、こういう場合メタバース上では満たされるけど、満たされるほど現実に戻るのがつらくなったりすることもあるのでは?
VR機器が身近になればなるほど、メタバース依存、VR依存というケースも起こりうるのでは。
人型以外のアバターですごすユーザは、感情移入しすぎないようにあえて人型以外のアバターを選んでいる、という側面もあるんじゃないかなぁ、という想像でした。
以上