車輪の再発明を恐れるなって話
ふわふわした内容です。
仕事の行き帰りが車なので運転しながらvoicyをいつも聞いている。
パーソナリティは10人未満で、往復の1時間半ぐらいで消化しきれるように調整している。
先日も、いつも聞いてるイケハヤさんのラジオが始まって。
表の配信のマーケティング裏話。 - イケハヤ @ihayato https://t.co/3FPrveI5gm #Voicy
— egolife (@egolife) 2022年5月12日
※↑たしかこれ。プレミアムでした。
その中で、NFTのプロジェクトを始めようとした時に、
もう同じようなことをやってるプロジェクトが無いかまずはリサーチするべきだと。
同じようなプロジェクトを再生産してもうまくいかない。
車輪の再発明をするな、というようなことを聞いた。
まぁそれは正しいんだろうけども。
でもそれはある程度成功した人、実績を積み上げた人が言える話じゃないかなーと。
自分の事に置き換えると、アプリ開発やサイト構築がそれに該当していて。
普段生活している中で、ふと思いついて「こんなアプリ作ったら便利かな、こんなサイトがあったらいいなぁ」なんて事をたまに思いつくのだが、
そのあとすぐに「もしかしてもうこういうサービスは存在するのでは?」と不安になり、検索してちょっとでも類似したものがあると、「ああ、やっぱり自分が思いつく程度の事は既に実現してるんだな」と諦めてしまう。
車輪の再発明をしても意味が無い、と。
そんなことを繰り返しているうちに、仕事で学んだ言語や環境でしか構築経験が無い
人間が出来上がってしまった。
もし、機能が被っていなくてオリジナル性のあふれるサービスが公開できたとしても、
それが世の中から求められているとは限らないわけで、全く使用されず埋もれてしまうかもしれない。
逆に機能はありふれているが、それなりに使われているサービスも数多く存在する。
例えば何か調べものをしようと検索すると、同じワードでも解説サイトがわんさか出てくる。内容もどこかから持ってきたように同じだったり、
内容、広告、内容、広告の繰り返しで薄っぺらいページも出てくる。さらにそんなのが上位に上がっていたりもする。
これってたまたま同じようなページが沢山存在するわけじゃなくて、
結局のところ副収入を得たいとアフィリエイトやアドセンスを始めた人達が、
自分のコンテンツを構築しようにもイチから作り上げるのが面倒かできないから既存のコンテンツを模倣してるケースが多いと思っている。
傍から見ると目的の検索が得られず迷惑極まりないけど、やってる側の人達はどうにかページビューを増やそうと手段を選ばず模倣サイトを公開する。
既に存在するものをまた生み出す、これも車輪の再発明と言えるのでは。
検索すると似たようなサイトが大量に上がってくる、これらは価値が無いのか?
といえばそうでもなく、検索上位に上がってくるということは一定数人目についているわけで、それなりに役にも立っている。
「既に世にあるから」と生産を諦めてしまったら結果もゼロだけど、
模倣であっても世に出せば、ある程度結果は付いてくる。
良い結果が出なくても改善点は洗い出せるだろうし、何も生み出さなければ反省も改善もできない。
普段の生活に追われていると「これが作りたい」とか表現したい、というのはなかなか浮かんでこないかもしれない。
でも、ふと頭に「これだ!」ってのが浮かんだら、それは貴重な機会なので、
「もう同じものがあるから」などと思ってそこで立ち止まらずに、行けるところまでやってみよう。
と、自戒を込めて。
「実績の無い者が車輪の再発明を恐れるな」
以上!