LLACのにゃらティブ企画というのを知って、
そういえば猫についてどこにも書いたことが無かったな、
と思い立ち。勢いで書いてしまおうという次第。
お暇な方はしばらくお付き合いください・・・
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久しぶりに見たけどやはりお美しい。
三毛猫は貴重ですね。
彼女の名は「ちびたん」。おそらく昭和50年頃の生まれ。
自分が物心付いたころには傍にいて。
この頃はキャットフードなんてものは無く、文字通りのねこまんま。
ご飯に味噌汁ぶっかけて、鰹節かけたようなものを与えていた。
今からしたら怒られそうな食事内容ですね。
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この猫は12年ほど生きた。
あれはたしかGW前後で、田んぼの補植(田植え機で米の苗を植えて、隙間が空いたところを手で植える作業)の手伝いをしていて。
田んぼの中を歩いて植えていると、急に気持ち悪くなって、いてもたってもいられずに帰宅した。
家に入るとちびたんが畳にうつぶせに苦しそうにしていて。
いつもと違う様子に少し離れた所で見守っていると、ゲッゲッとえずくような、くしゃみのような動作を繰り返しはじめた。
どうしていいやら分からず、慌てて頭を撫でていると、やがてくしゃみの間隔が長くなっていき、最後はスーッと力が抜けるような感じで静かになった。
呼ばれたんだろうか。
これが最初のお別れ。
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この前後に猫を2匹拾ってきて。
黒猫と茶トラ柄の猫。
それぞれ名前は「クロ」と「アカ」。安直ですね。
この後、クロとは長いつきあいになる。
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その数年後にどこからか2匹の猫をまた拾ってきた。
白猫と灰色猫。名前はもちろん「シロ」と「ハイ」。
でも、しばらくしてアカ、シロ、ハイは帰ってこなくなった。
これはおそらく、両親がこれ以上は勘弁してくれ、とどこかに捨てに行ってしまったのでは・・と今となっては確信している。あまりに一度にいなくなったのでね。
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その数年後にまた茶トラ猫を家族が拾ってきて、
この子はメスだったせいか追い出されることもなく長いこと家で過ごすことになる。
名前はやっぱりアカ。
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時期は不明だが、家族が県外で飼っていた猫が飼えなくなり家で飼う事になる。
名前はランで、たしか白か灰色。
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その後、同じ理由でもう一匹の猫も家で飼う事になる。
キジトラで名前はチャコ。足首だけ白で靴下を履いたようなチャームポイントがあった。
アカとチャコの相性が悪くてしょっちゅう大喧嘩をしていた。
仲裁に入って手を出したら噛まれて酷く膿んだことを覚えている。
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ランは腎臓の病気で6年ほどで旅立つ。
自分は自宅におらず、家族の膝まくらの中だったらしい。
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クロは随分と長生きした。
年を取ってからはツメが出たまま戻らなくなり、カーテンに引っかかったまま一晩過ごすようなこともあった。
18年目ぐらいで脳梗塞になり目が見えなくなり、ブドウ糖を点滴してあげないと維持できなくなった。それでも健気に生き続け、20年目を迎えたころ、自分が出張で県外にいる間に亡くなった。
なのでクロの最期には立ち会えなかった。
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アカも20年弱生きたが、最期の1年はなかなかつらい状態で、
体中の毛が抜けて肌がガサガサになっていった。
獣医に見せても原因がつかめず、高齢のためそのまま弱っていった感じ。
冬、ストーブの前で寝ていたが、そのまま静かに息を引き取った。
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最期にお別れしたのはチャコで、
お別れと言っても死に目には会えていない。
近所で車に曳かれた猫を引き取って埋葬した方がいて、
その方から連絡を受けて、長いこと帰ってこないしどうやらチャコだったようだ、
という幕切れ。
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そんなわけで自分が生まれてから35年ほど(外に出ていた時期もあるが)、最後の猫が旅立つまで常に猫のいる生活を送ってきた。
あわせて8匹の猫達と過ごした。
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今、また猫を飼いたいか?
と聞かれたら迷いなく「飼わない」と答える。
(捨て猫を見つけたら、しょうがねぇなと持って帰るかもしれない)
猫はそれぞれ性格が違って、
一緒に寝てくれる猫もいれば、頭を撫でさせてすらくれない猫もいる。
多頭飼いによくあることとして、縄張りを示すためのマーキング。
家具やら服に匂いがつくとほんとにウンザリする。
柱の爪とぎもするし、嘔吐もある(毛玉のためだけでなく体調にもよる)。
季節によっては抜け毛も酷く、服やタオルを出しておこうものなら
そこで猫が寝て毛だらけ、ということもよくある。
猫のために扉をきっちり閉めるとか、
物を片付けておくとか、気を遣うのに疲れた、というのもある。
が、一番は
「どうせ君たち俺より先に死ぬでしょ?」ということ。
当たり前だし、何も猫に限った話でもない。
犬を飼うにしても数年後か10数年後には同じことになるんだけど。
ご飯あげたり、頭撫でたり、一緒な布団で寝たり、
という思い出を積み上げても、常にペットが先にいなくなる、というのが虚しくなった、というのが近いかな?
贅沢ですかね。
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LLACは保護猫支援も謳っているようだけど、命を迎えたら必ず送る時が来る、
という当たり前のことを迎える側は自覚しなければならない、と思う。
飼い始めの頃はそんなこと思いもよらないんだろうけどね。
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そんな気を遣うより、あれですよ、
LLACでNFTの猫をお迎えすればいいんじゃないですかね?
アイコンにすれば一生年もとらずに傍にいてくれますよ?
というまとめでした。
以上